新型コロナウイルス禍によって、フリーランス稼業は存亡の危機に瀕している……などと悲壮感たっぷりに訴えるつもりはない。
フリーランスは浮き草稼業であるわけだから、時代の趨勢によってどうなるのかは、それこそ「そのときの情勢次第」というもの。
社会経済が厳しければ厳しいほど、実入りの多くなるフリーランス稼業もいれば、平穏な社会だからこそ需要のあるフリーランスもいる。
そもそも、フリーランスとは目新しい言葉でもなんでもない。
端的にいえば、「個人事業主」というもの。
駄菓子屋やタバコ屋のおばちゃんも、いうなれば小売業のフリーランスといってはいいすぎか。
日本におけるフリーランス稼業でもっともわかりやすいれいといえば、農家ではないだろうか。
2019年の4月からの高度プロフェッショナル制度。それから一年も経たないうちにはじまったこのたびの新型コロナウイルス禍で喧伝されている、「在宅勤務」や「テレワーク」なるもの。
このところ、新しい働き方や事業の持続化給付金といった単語が飛び交っているから、フリーランスというなにかしらしっかりとした定義でもあるかと思われるが、まったくさにあらず。
一説によると、フリーランスの語源は中世ヨーロッパに遡り、一本の「Lance(槍)」で戦争に参戦した傭兵のことだったとか。
現代では槍だけではなく、さまざまな業種・業態のエキスパート、あるいは一意専心によって培った得意技を活かし、社会経済との戦いに臨んでいるのがフリーランスといったところだろうか。
そういう私の槍は、取材して原稿を書くというスキル。
小学校の頃は400字詰の原稿用紙に読書感想文を埋めることさえも億劫だったのに、いまでは一枚あたりそれなりの原稿料というものを得て生業としている身でもある。
ところで、ここからが本題というか、まとめになる。
新型コロナウイルスの経済支援対策である事業の持続化給付金について。
もちろんのこと申請を検討してみた。
フリーライターが書いたのであれば、とても原稿料をいただけると思えぬ難解かつ不可解な文章をどうにか読み解いて、電卓を弾いての結論。
残念ながら資格なし。
前年度の収入と比べて50%以上の減収にはとうていおよばない。
もともと年収の母数が小さいのだからそれは当然のこと。
そもそも、50%減収の根拠がよくわからない。
収入源で困っているのは、脆弱な経済環境にある方々。
2割、3割の減収であっても大打撃の死活問題であるというのに、50%以上の減収が資格条件ということは、「あきらめてください」の最後通告ともとらえることができる。
先日、運転中にラジオを聴いていると、聴者からの興味深いお便りがあった。
なんでもデザイン関係のフリーランスというその聴者は、減収を証明する資料がなかったため、預金通帳や依頼されたデザインをまとめたポートフィリオなどを地元の申請窓口に提出したという。
しかも、申請書は不備だらけだったとか。
ダメ元でのチャレンジ結果は、迅速な持続化給付金の支給だったという。
もちろん、ラジオへの投稿だから信憑性のほどを疑うのは当然のこと。
しかしながら、背に腹はかえられぬというもの。
このブログも添付し、持続化給付金の申請を考えているきょうこのごろである。